時代は繰り返す!向精神と麻薬の歴史  

向精神薬


はじめに

世の中、裏と表で成り立っているように、精神医療も裏を返せば、どろどろとした世界が見えてきます。
現代精神医療の主流の治療法は、向精神薬(抗うつ、抗精神、抗不安薬)を用いた投薬療法です。
最初の向精神薬は、アルコールであったと考えられていますが、他にも、アヘン、大麻といった植物も利用されていました。
近代以前の向精神薬としては、1850年代に臭化カリウムなどが不眠症に用いられるようになります。
過去の向精神薬の歴史を見てみてみると、すべて現在では禁止されている麻薬、覚せい剤がほとんどで、副作用の危険性が軽くなっているだけにすぎないことが分かります。
当時は「安全」を売りに出していたものが、現代は「違法薬物」として取り扱われているのは、昔と現代も同じ歴史を繰り返しているに過ぎないことが見えてきます。


近代以前の麻薬の歴史

麻薬の歴史は古く、6000年以前まで遡ります。
古代バビロニアではケシを「歓喜の植物」と呼び、乳液にして飲んだり、乾燥させアヘンとし快楽を高めたり、負傷した時、鎮痛剤として使用されていました。
アレキサンダー大王の遠征時には、兵士達はアヘンを食べて勇敢に戦い、致命傷を負っても痛みを感じることなく命を落としていました。
ケシの実は、亜熱帯地方で栽培が広がり、東洋ではインドでも栽培されるようになります。

ケシ
アヘン・モルヒネ・ヘロインの原料

西暦150年頃にはすでにアヘンの危険性が指摘されるようになりますが、当時は麻酔がないため、治療のため一般的に用いられていました。
15世紀末、スペインはアラブ諸国を排除しますが、アヘンはアラブ貿易で流入していたため、別の入手ルートを模索しはじめます。
1492年、スペイン王がアヘンを持ち帰らせようとコロンブスにインド派遣を命じます。
しかし、コロンブスはインドに到達できず、アヘンを持ち帰ることはできませんでしたが、新大陸で「タバコ」を持ち帰ります。
そして、時代とともにタバコにアヘンを少量混入して吸う「吸引法」が流行するようになります。

アヘン貿易と裏の世界の構築

19世紀になると西洋列強時代の到来とともに、アヘン貿易も盛んになってきます。当時、イギリス、インド、清の間には三角貿易が行われていたことはよく知られていると思います。
当時のイギリスは、茶、陶磁器、絹を大量に清から輸入し、イギリスから清へ輸出されるものは時計や望遠鏡のような富裕層向けの物品はあったものの、大量に輸出可能な製品が存在せず、イギリスは大幅な貿易赤字となっていました。
その赤字解消のために、植民地のインドで栽培したアヘンを清に輸出し、その対価として銀で支払わせることにしたため、清では銀の大量流出とともにアヘン中毒者が蔓延することになります。
清では、イギリスから輸入されたアヘンを焼却し抵抗するなどしたことがきっかけで、1840年から2年にかけ「アヘン戦争」が勃発します。


これに清が敗戦すると、列強国は清に進出していくとともに植民地化とアヘン貿易が活発化していくようになります。
ヨーロッパではすでに資本主義社会となっていたため、植民地化とともに多くの企業も清に進出していきます。
ロスチャイルド、ジャーディン・マセソン商会、インドのサッスーン財閥、アメリカのラッセル商会等々は、アヘン貿易により、アヘンを清に蔓延させるとともに莫大な資金を獲得し、現在にまで至る大企業、銀行、大学といった機関を次々と創設します。

特に、アメリカのアヘン輸入専売会社であるラッセル商会は、アヘンと中国人奴隷の輸出入業社で、アヘン常用者の中国人苦力(クーリー)を奴隷としてアメリカに運びました。
1846年には既に約12万人のクーリーが、ハリマン鉄道の西方延長工事に従事させられていました。

ラッセル商会の役員には現代の名門家と言われる者が多く、ラッセル一族のノディア・ラッセルはアヘン資金でエール大学を創設します。
後にアメリカ大統領を輩出するブッシュ一族はトルコのアヘン農園を保有しドイツのゼボッテンドルフ一族に経営を任せていました。
これが後にドイツでトゥーレ協会を結成し、ナチスへと発展していきます。
また、この農園を警備していたのが後に「アルカイダ」となります。
また役員の一人ジョセフ・クーリッジは南米でバナナ農園を開園しますが、奴隷監視のためにつくった組織が後に「CIA」となります。
実はアメリカという国家の実体は多くはアヘン貿易で富を得て成長した国家ともいえます。

中国の広東で、阿片と中国人奴隷の輸出入を担当した取締役が、ウォーレン・デラノで、そのデラノ一族は阿片の利益で大統領を輩出しますが、その大統領が第二次世界大戦中のフランクリン・D・ルーズベルトです。
大統領は、中国の阿片・奴隷密売人のウォーレン・デラノの孫にあたります。
日本の土佐出身ジョン万次郎は、漁中に嵐にあいアメリカの捕鯨船に助けられアメリカに渡りますが、ウォーレン・デラノの援助のもとアメリカで成長します。
黒船で有名なペリー提督はデラノと親友です。相関図
実は日本の開国も、ジョン万次郎を最初に帰国させた後、2年後にペリーが出向いて行われたもので、ジョン万次郎はスパイではなかったのではないかということも疑われています。
近代の歴史の裏を紐解いていくと、実は麻薬と深い関係が浮き彫りになってきます。

ジョン万次郎

近代の麻薬の歴史

1861年アメリカで南北戦争が勃発します。アヘンから抽出された「モルヒネ」は1804年に鎮痛催眠薬として開発されたものですが、この南北戦争では兵の手足の切断手術などのために麻酔として用いられました。その結果40万人のモルヒネ中毒が蔓延することとなります。

1884年にドイツのフリードリヒ・ゲードケが南米で採取されるコカの木からアルカロイド(天然の有機化合物)の抽出に成功し、後にこれは「コカイン」と命名されます。
精神分析者のジークムント・フロイトは、これを「精神の病だけでなく、あらゆる病気に効き、しかも中毒性がない万能薬」と論文で多数発表しますが、結果的にコカイン使用者がヨーロッパ全土に広がり、コカイン中毒者が蔓延する事態を招くことになります。
裏ではフロイトは、製薬会社メルク社とパーク・デーヴィス社から資金提供を受けていた事実があります。
現代でも、精神医療と製薬会社との間には黒い噂が絶えませんが、すでにこの時代からこのような関係があったのでした。

コカの葉

1886年 この薬物の評判を聞いたジョン・ペンバートは、コカの葉を原料とした清涼飲料「コカ・コーラ」を開発して大人気を評し20世紀まで販売されていましたが、その中毒性が確認されてからはカフェインが用いられるようになります。
1903年当時、コカコーラはモルヒネ中毒にも効用があると信じられ治療薬として始まった飲み物でしたが、結果的にコカイン中毒を招く結果となってしまいました。

1885年 薬学者長井長義が「麻黄」から覚せい剤原料となるエフェドリンの抽出に成功します。日本国内ではアヘンは蔓延しませんでしたが、この発明がきっかけで日本にも戦前から戦後にかけ「覚せい剤」中毒が蔓延することになります。

1889年にドイツのバイエル社が商品名「ヘロイン」が発売されます。
どのような病気にも効く、副作用のない奇跡の薬
としてモルヒネに代わる依存のない万能薬のように国際的に宣伝され、医師と薬局から無制限に市場に流れることとなります。
アヘン、モルヒネ、ヘロインともケシの実が原料ですが、ヘロインはモルヒネの10倍の強さを持つ最上級の薬物と言われるとおり危険度が最も高い薬物です。

日本における覚せい剤の広がり

1941年 大日本製薬(現:大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤「ヒロポン」、武田薬品がアンフェタミン製剤「ぜドリン」として発売します。
後に危険薬物として「覚せい剤」と呼ばれるものです。
前者のほうが使用者が多く、戦前戦中に使用され、中毒者は「ポン中」「シャブ中」と呼ばれました。

基本的に、この覚せい剤の作用が、現代の抗うつ薬などと同じ作用機序になって使用されています。(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン濃度を高める)

第2次世界大戦中
戦時中、工場作業員には覚せい剤が配布され、10時間以上の強制労働を強いられることになります。
戦闘兵には疲労回復、士気向上、視力向上目的などで、パイロットに重点的に配布され、「ヒロポン入りチョコレート」といったものまで登場します。

第一次乱用期・・・終戦直後の混乱期
戦後は覚せい剤の乱用期が大きく3つ存在し、第一次~第3次乱用期と呼ばれています。
戦地からの引揚者や不定期労働者、学生、一部の芸術家や芸能人、暴力団、水商売の女性などの比較的限られた人々が乱用していました。
1951年になると、覚せい剤の危険性が認知されるようになり「覚せい剤取締法」が制定されます。。

第2次乱用期・・・1960年代半ば(昭和40年代)~1988年(昭和63年あたり)
健全層と呼ばれる主婦やサラリーマンまで乱用が広がったことが特徴。

第3次覚せい剤乱用期・・・1998年~ 
未成年者、中・高校生の乱用の急激な増加に特徴。
一方、副作用もない安全な薬として向精神薬(抗うつ、抗精神、抗不安、睡眠薬)が精神医療で処方され、使用者が増加し、自殺者、リストカット者が急増。
さらに、児童にまで、発達障害薬(ASD/ADHD)として処方され、成人してからもその被害に苦しむ人が増加傾向にあります。
取り扱っているのが肩書きがあり、信頼されるべき医師が取り扱っているところに精神医療の恐ろしさを感じますが、追い打ちをかけるように、20~30代の若者たちも洗脳され、ツイッターなどのSNS(主に新型うつ病)を通して、当事者たち自身が向精神薬の服用をお互い拡散しているという皮肉な事態にまでなっています。

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